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ぼくもフットサルやりたい。
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チーム伊藤ちゃん(仮称)に入会希望します。 4月からタバコはほとんど吸ってません。 5月に入会したスポーツジムはほとんど行ってません。 6月に買ったフットサルシューズはまだ一回も履いてません。 てなわけで準備は万端です。 ポジションはキーパー以外を希望します。
(2006.8.15[Tue])
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近況報告
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先週、禁煙をはじめました。 ちょうど今日で一週間。 一本たりとも吸ってません。 すごいでしょ!? 自分でも、おれすげーって思って、 それを糧に毎日を過ごしてます。
相変わらずネクラです。
伊藤氏の文章のリズムの良さに嫉妬してます。
テレビでよく見るような、河川敷の芝生で、日なたぼっこがしたいです。
(2006.4.3[Mon])
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厄年
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一週間ぐらい前に待望のゴルフが届いたのですが、初日から不調を訴えました。やっと今日入院にこぎつけたのですが、不治の病の予感もします。買った店が悪かったか、ただ運が悪かったのかー。 細木とか江原とか、そういうの信じない人間なんですか、厄年のせいにしてみたりしてます・・。
(2006.3.14[Tue])
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プッシュトーク
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神についてもぼくは、「実体」ではなく「認識」ととらえているんですよ。 だから「神も私の中にいる」んです。
たくろーさん、では、来月か再来月あたりにゴルフ行きませんか?最近ほとんど練習してないので、ショートでも3時間ぐらいかかるかも 笑 石川さん、ぜひダブルデートしましょう。ぼくもまだ同棲してませんが、近いうちに紹介できると思います。
ところで、ぼくケータイも最近換えまして、話題の?プッシュトークができるやつなんですが、一回も試せてません。誰かできる人いましたら、ぜひぼくにプッシュしてください。
(2006.2.23[Thu])
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リュウジの哲学?
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わたしの哲学は独我論に影響されています。 世界には私しか存在せず、私を取り巻く環境は私の意識内の現象である。 「私が死んだら世界は終わり」と言ったのもこれに端を発しています。 しかし、です。 一方でこれって何か寂しいぞって思うわけです。 他者にも私と同じようなあり方で“私”がある、 と信じることはできるのではないか?
話は戻りますが、普段、生活しながら常にこんな風(すべては私の意識の現象だ、私以外の人間は実在しない)に思っているわけではありません。 数年前まではこんなこと考えもせず、世界がただあって、そこにたくさんの人間がいて、その一人が自分である、ということを無意識に認識してました。 ただ、自分を起点に自分からは独立した他人の心の存在を認めている。そのことに違和感はありました。 で、いろいろ考えたり、本読んで独我論を知ったりして・・・。 そして、自分以外の人間は存在しないかもしれない。でもいると信じよう。という風に腰を落ち着かせました。
一見、何も変わってないように思われるかもしれません。結局のところ自分の域を離脱できないわけですから。 でも、私の中では変わったと思います。
「私の世界と他者の世界の統一」について
他者の自我を認めたところで、私の自我との乖離はあります。 では、自我と他我を区別しているものは何か? そして、自我と他我を統一することはできないか?
私と他者が互いに自我を統一しようとする試み、あるいはそれらを内包する何かを求めることが、 ひいては人間の価値を生み出そうとする行為ではないかと。
なぜなら、私が“私”としてある状態で、人間の価値が存在するであろうか?
※“私”、心、自我と交ぜ書きしてますが、どれも同じような意味合いで使ってます。
(2006.2.21[Tue])
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私と他者
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伊藤さん、お返事ありがとうございます。 「自らを継続する主体」ですが・・・、不安とか希望という感情が芽生えるのは、“私”は明日も“私”である、ということを前提として潜在的に受け入れているわけです。 それをいつ受け入れるのか?これが私の疑問だったわけです。ただ単に記憶と経験則によるものなのか。先天的なものなのか・・・。
私が人間を一般化して人生論を語ることはナンセンスかもしれませんね。他者については語り得ぬことですから。 ではなぜ、そのことを前置きしながら人間の価値を問うてるのですか? 相容れぬ他者との、唯一の接点が美なのですか? 人間の価値を語ることはナンセンスではないでしょうか。
もし人間の価値を求めるならば、「私の世界と他者の世界の統一」にあると思います。 世界は私の中にあります。私が死んだら世界は終わりです。 しかし、私と同じように他者にも世界があると、他者にも“私”があると信じ、互いの世界を統一しようとする試み、 これが人間の価値を生み出す行為であり、そして遂に統一できた時に、初めて、“人間”の価値が生まれるのではないでしょうか?
たくろーさん、ゴルフいいですね。 暖かくなったら一緒にショートコース(本格的なラウンドは無理なので)行きませんか? 石川さん、ゴルフいいですね。 ぼくも最近ゴルフと付き合うことになりました。彼女が機嫌を損ねた時には、相談にのってください。
(2006.2.19[Sun])
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